1580年代

武将記事

【北条氏政】後北条氏第4代当主 ― 「暗愚」評価を覆す関東最大版図の達成者

「二度汁かけ」「小田原評定」で江戸期以来「暗愚」と評されてきた後北条氏第4代当主・北条氏政の生涯を諸説で解説。実は後北条氏の領国版図が最大に達したのは氏政の時代であり、近年は名君として再評価が進む。武田信玄・上杉謙信ら強敵と渡り合い、最後は秀吉の小田原征伐で切腹した波乱の生涯を多角的に紹介します。
武将記事

黒田官兵衛 秀吉の天下統一を支えた稀代の知将 ― 有岡城幽閉から九州天下取りまで

豊臣秀吉の参謀として中国攻めから九州攻めまで天下統一を支えた稀代の知将・黒田官兵衛の生涯を諸説で解説。有岡城幽閉、備中高松城水攻め、中国大返し、関ヶ原時の九州天下取り構想、キリシタン信仰など、近年研究を踏まえた多角的紹介。築城の名手・福岡藩の祖としての側面も。
武将記事

羽柴秀長 豊臣政権の宰相にして大和大納言 ― 秀吉天下統一の影の立役者

「秀長がいれば豊臣の天下は続いた」と評される豊臣秀吉の異父弟・羽柴秀長の生涯を諸説で解説。中国攻めから始まり四国攻め総大将、九州攻め日向口総大将を歴任、大和100万石の大和大納言として豊臣政権の実質的No.2を務めた人物。1591年の早世が豊臣政権崩壊の起点となった経緯まで多角的に紹介。
合戦記事

上田合戦(1585・1600年)真田vs徳川、二度の籠城戦と秀忠遅参の真相

真田昌幸が二度にわたって徳川の大軍を撃退した上田合戦。第一次(1585年)は徳川7,000vs真田2,000、第二次(1600年)は徳川秀忠38,000vs真田2,500の戦い。秀忠遅参の真相、犬伏の別れの動機、上田城縄張りの秘密など6つの諸説で詳説します。
武将記事

大谷吉継 ― 義に殉じた白頭巾の智将、関ヶ原で散った友情の武将

大谷吉継(OotaniYositugu)豊臣秀吉の小姓から敦賀5万石の領主へと出世した大谷吉継。業病に侵されながらも関ヶ原の戦いで親友・石田三成のために立ち上がった義の武将。ハンセン病諸説や茶会の逸話、小早川秀秋の裏切りと最期まで、6つの諸説で多角的に解説します。
武将記事

真田昌幸 ― 表裏比興の智将、徳川家康を二度破った国衆の意地

真田昌幸(sanada-masayuki)真田昌幸は秀吉に「表裏比興の者」と評された信州の智将。第一次・第二次上田合戦で徳川家康を二度破り、関ヶ原で西軍に与して九度山で果てた65年の生涯。「表裏比興」の真意、武田滅亡時の北条内通など6つの諸説で読み解く。
武将記事

真田幸村(信繁)― 日本一の兵、大坂の陣で家康を追い詰めた英雄

真田幸村(sanada-yukimura)「日本一の兵」と称された真田幸村(信繁)は、大坂夏の陣で徳川家康本陣に三度突撃した戦国最後の英雄。本名「信繁」が史実だった理由、安居神社の最期、十勇士の創作など6つの諸説で迫る49年の生涯。
武将記事

伊達政宗 ― 独眼竜と呼ばれた奥州の覇者、70年の生涯

伊達政宗(date-masamune)奥州の覇者・伊達政宗は「独眼竜」と呼ばれ、摺上原の戦いで114万石を制した戦国最後の風雲児。1974年の遺骨鑑定、毒殺未遂事件の真相、慶長遣欧使節の謎など6つの諸説と70年の生涯を解説。
合戦記事

山崎の戦い(1582年) ― 本能寺から11日、天王山で秀吉が光秀を破る

山崎の戦い1582年、本能寺の変からわずか11日。中国大返しを成功させた秀吉が光秀を破った「天王山」の決戦を定説・諸説・戦略の3視点で解説します。
合戦記事

本能寺の変(1582年) ― 日本史最大のミステリー、なぜ光秀は信長を討ったのか

本能寺の変1582年、天下統一目前の信長を明智光秀が討った戦国最大の事変。光秀の動機をめぐる怨恨説・黒幕説・四国問題説など諸説を戦略的に検証します。